(^_-)-☆技術の後継者

  1807 もう一度、一人の墓参り、沼津の押出し成型の会社へ行ってきた。なんとなく、その気になって行って来た。その帰りに、先日お袋の三回忌をしたばかりの墓に寄った。これも何となくである、途中だったから。そのすぐ脇の高速道路の富士川サービスエリアに隣接している富士川楽座という富士と富士川グッズを中心に売っている店にも寄ってみた。
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富士川サービスエリアから富士川を見下ろす。真ん中が東海道の鉄橋、その向こうに見える橋は東海道本線の鉄橋、私が子供の頃の風景と全く同じ。
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由比興津のバイパスから西を見る、昔、このあたりを袖師と言って、海岸だった。三保の海岸よりこの海岸の方が人気があって、夏だけ東海道線はこの袖師に停車した。小学校の頃から家族で海水浴に来ていた、高校の時にはここから南、対岸の三保の半島まで、4Kmの遠泳をした。その後,沖まで埋め立てられ、今は、清水港のコンテナ港になっていて、海岸は無いし、面影もない。この写真の左はコンテナ港だ。

話は飛ぶ、家に着く前にもう一社の押出成型会社に立ちよった。この沈みゆく日本の製造業に中で、いずれも零細な会社だが、何とか、会社は形態を保っている。今日の二社とも私の技術の後継者の会社だ、設備のほとんどは、その後改良や修理はしているが、会社を始めた時には私が準備の手伝いをしたものを使っている。そして、太田化工は私の技術そのものだ。私の技術を私が与えた会社はこの三社、そして、もう二社、私の技術というか装置を使って製品を作っている会社がある。二社とも頭文字がNだ。装置のそっくりさんを作って、私が作っていた製品を作り出してしまった。気の毒な会社だ。
 そして、インドネシアでは、現在、二社が私の装置を使って私が開拓した客先に私が作った製品を販売している。
 ということで、日本で5社、インドネシアで2社、そして今の会社、合計8社に私が作った装置がある。私が始めて作った製品の生産をしている。押出成型の技術者の人数は、合計50人ほどになる。彼等が教えた人数を含めれば80人以上になるでしょう。いわゆるエンプラの小物の押出成形技術の後継者、教え子たちだ。
後継者 技術 プライド

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