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zoom RSS (^_-)-☆記憶起こし

<<   作成日時 : 2019/01/04 22:34   >>

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 3639 記憶が遠のく前に、行って見ておこうと家から出て、東へ向かった。バイパスの富士川の橋までは、昨日と同じだった。
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富士川の橋からの富士山
何日か前に行って、探しきれずあきらめた場所に、再トライをした。その時は、記憶だけを頼りに出かけたが、今度は、裾野市葛山という住所の場所をチェックした。記憶が、間違っていた。そして、行き当たった。東プラ精工を辞めて、開業資金を稼ぐために、夜勤専門12時間勤務を一年半やった会社、塩崎さんのフジプラ精工だ。下が事務所で二階が住宅になっている建物はそのままだったし、右の工場入り口も同じ、そのままだった。細い土の道は広くなり舗装をされていたが、その辺りの両側の景色は殆ど変わっていなかった。工場の裏で、自然薯を掘ったり、コイリングチューブを作ったり、3人の子供と私の子供を一緒に遊ばせたり、思い出いっぱいが蘇った。見つけてよかった。
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帰りは、景が島や五竜の滝辺りを通って、長泉のバイパスから下長窪や桃沢を通過し、沼津からバイパスに入った。静岡に入って、浅間さんに寄って、百段に登りたくなった。県立病院近くから一般道に入った。元静大の卓球部の練習場があった辺りの路上に駐車し、石鳥居へ歩いて向かった。
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込み合っていたが、人をかき分けかき分け、百段の下に立った。見上げて、写真を撮り、一挙に駆けあがった、出来た。
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そのまま、一か所目の展望が開ける場所へ休まず上って、東目下の出身校、静高、八津山、日本平を、また、左側に富士山を眺めて、女坂の方に下山。
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百段の上から西下に末中が見えるはず、その方向にカメラを向けて撮った。
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ここは、百段の上の広場?だったが、今は、雑草、雑木?が生い茂り、向こうの賎機山の古墳の盛り上がりも目立たなくなってしまっている。広場だった時には、祭りや正月にはここで、ガマの油売りをやっていたし、末中、静高の時、百段を一週間に一回の割で、百段を5往復していた、その時、この広場で円を描いて体操もした。何故、ここを広場のままにしておかなかったのだろうか、疑問だ。

時には、ずっと登って行って、臨済寺の上山の地獄谷を駆け下って学校へ戻ったことも何回もあった。他の人が恐る恐る下っている百段を走り降りるように降りて、さっさと、車の方向に向かった。
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そして、行きにも通ったが、この富春院の前を当然、通る。このお寺は、中学一年の時の担任だった鈴木宗元先生が住職をしていた。それを知ったのは、中一の時に、先生の奥さんが亡くなられた。クラスの代表でお葬式に参列した。そこで、先生は坊さんだったのかと知った。多分、関係のお寺の坊さんが大集合してお経を読んだのでしょう、太鼓やシンバルのようなものを幾つも使い、盛大さにびっくりした、そのお寺です。
記憶 見つけた 百段

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