(^_-)-☆大切な隣人

 3845 韓国のことを大切な隣人と、云っている日本の知識人?が、日本の輸出規制を撤回しろと、主張している。韓国が大切な隣人と言うのも、輸出規制と言うのも、間違いだと思う。その他、この人たちの表現で、“報復“も”徴用工“も”強制慰安婦“も、間違いだ。特に、”大切な隣人”とは、どんなことで大切なのでしょうか。大切とは真逆で、“厄介な隣人“が正しいと思う。
 大切な友、大切な物、大切の意味は、実質的に、或いは精神的に、役に立つ、こちらの為になる、から、大切と思うのでしょう。韓国が日本の役に立ちますか、韓国から何か得るものが有りますか、東北大震災の時に、微々たるの援助をしたらしいが、その災害をざまあみろ的表現が多かったと聞いている。
 ほとんど、金や技術をもっとよこせ、もっとよこせ、その上、謝れ謝れ、戦前からの関わりに中で、日本からの莫大な恩恵は、国民に知らせず、少しの、どの世界でもあるような、不利益を針小棒大誇張し、反日を国の基本的思想とする教育をし続けている国が大切な隣人でしょうか。

 隣人とは、べつに、大切でなくても、困っているだろう時には、助けてあげるくらいの付き合いは普通にするでしょうが、助けても、助けても、感謝をするどころか、もっともっとと、要求してくる国とは、付き合いを止めたくなるのは、自然な流れだし、便宜を図るとか、優遇するなどと言うことは、したく無くなるのも自然なながれでしょう。直接は勿論、間接でも、売らない、買わない、行かない、来させない、鎖国が良いですね。隣国もそれを望んでいるようだし。

 もう、この家、築30年になる。子供が、小学校を卒業したら、静岡へ引っ越ししようと、私がこの地の空き家を買い取った。私が4歳から高卒まで住んでいて、少しでも親がいる場所に近いところに住もうと思ったからだ。その三年ほど前に、沼津の会社が狭くなってしまったので、静岡の用宗港の側の貸工場に本社を移してあった。37歳の時だった。39歳でこの地に引っ越したが、その間、長泉から静岡に車で通っていた。
 そして、子供が大学へ入り、この地から東京に移ったころ、元の中古の家を建て替えたと同時に、隣接していら田んぼを買い取り、この庭にした。45最の時だった。バブル真っただ中で、土地の価格はどんどん上がっていた。当時の記憶では、この地、一応住宅地で、平米70万円だった。今は半値以下か。
 中身は何も変わっていない。いろいろ機能の風呂場もトイレもエアコンも明かりの調整もインターホーンも30年前のままだ。
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 そして、30年、その内7年ほどしか住んでいないが、矢張り、私が帰る場所、掘り炬燵が私の居場所、そこからの外の様子を、いつか、それほど遠くない時から、見続けることになるでしょう。私にとって、大切で必要な場所だ。

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