独り言インドネシア

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zoom RSS (^_-)-☆残したいもの

<<   作成日時 : 2018/04/18 21:41   >>

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 3378 スルガ(あの世)でお金は必要ない、持っていても仕方がない、が、私の基本的考えだ。バブルの時、身分不相応な金額を手に入れてしまったと思った。仕事と囲碁と旅がしたい私、使い果たすのは、難しいだろうと。

私は、日本のバブル全盛の時期と会社を興して辞めるまでが、見事に一致していたと思う。一人で興した会社、一ラインしかなかったが、いきなり、毎月の売り上げが200万円だった。今から、40年以上前の話だ。原料費は50万円くらい、現金で払っていた。毎月100万円以上の利益あった。ただし、勤務時間は一日平均16時間ほどだった。

その後、利益を増設に回し、沼津が狭くなったので、子供のころ過ごした、両親がいる実家に近い静岡に本社を移した、その時、沼津、静岡、3ラインずつで合計6ライン、売上は2000万円位になっていて、人数が合計30人くらいになっていた。手形帳は持っていなかった、支払いは、裏版を押して回しだった。1985当時、42歳前後から、会社も私も高額納税者で新聞に載るようになっていた。10年近く続いたが、私は、税金の為に仕事をするような状況がばからしくなったのが、理由の一つで、社長を辞めた。海外へ行く準備を始めていた。そして、そのころにバブルが弾けた。1994年ころである。

タイミングがよかった。会社は、かなり蓄積資産があったし、任された今の社長も何も、懸念事項はなかった。その後、ほとんど無償で株も譲ったしまった。本人は、当然、相続税は払った。地位も肩書きも捨てて、1996年にインドネシアへ来てしまった。技術指導が始まった。世話になっている会社に迷惑を掛けたくなくて、自腹をきって、設備を作ったり、原料を買ったりして、現地の人たちに、自分がやって見せて、伝えた。おそらく、数千万円は使ったと思う。そればかりではなく、日本で日本語を学びたい人たちの保証人になって、学費や生活費の援助もした。多い人は一人、一千万円は、使ったと思う。大学も含めて6年間。そのほか、インドネシア国内で、夜間の専門学校へ通う人の援助も10人は下らない。

インドネシアで技術指導する中で、接触した日本人に、その人のために、私としては望まない出費をさせられてしまった失敗もあった。そして、インドネシアでの私の報酬は、平均10万円くらいだったでしょうか。もっと出すという会社もあったが。私は必要ないと断った。ゴルフの会員権や車も自分が買った。家賃は最高の時、5万円ほど、20年間の平均は、2.5万円ほどだと思う。失敗を除いては、それらの条件がすべて満足だった。今も、満足している。それは、一昨日も書いた。

仕事の面では、職人だと思っていて、POMやPA、PBTなどの原料も日本に出始めたばかりのもので、日本で初めてという製品を幾つも作った。そしてそれらの製品は、今でも、何かの部品として使われている。そして、インドネシアでは、車関係を主に、押出部品は私が殆ど先駆けで作った。

使ってしまったので、今や資産は家と土地半分と会員権しかなく、貯蓄はまだ少しある。年金を使わないので、自然にその分は増えている。どうですか、金はほとんど残していないが、そう長くない人生、他人に金銭的に他人に頼ることはないでしょう。“金を残すのは下。仕事を残すのは中、人を残すのは上”なら、私は中と上ですね。そして、今も、続いてる、あと何年?自己満足の世界である。
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残したくないが、この風景どうにもならない。
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